弱肉強食の現代のリアルがそこにはある~映画『マージンコール』の感想~
皆様こんにちは、takahiroです。
昨日、2011年に公開された映画『マージンコール』を観ました。
日本では劇場未公開ですが、かの有名なリーマン・ショックを題材にした作品ということでこれは観る価値があるだろうと判断しました。
感想を簡潔に言うと、「何の救いも無いけれど、どうしようもなくリアルな資本主義経済の実状」が描かれたものだと思いました。
今回は、そんな『マージンコール』の感想とここから学んだことを書いていきます。
『マージンコール』とは?
まず、この作品のあらすじから。
2008年、ニューヨーク。ウォール街の大手投資会社で大量解雇が始まった。解雇になったエリックは、部下のピーターに「用心しろよ」と意味深な言葉を残しUSBメモリーを託して去る。原子物理学の博士号を持つアナリストのピーターは、リストラから生き残った数少ない1人だった。その夜、エリックから引き継いだデータを調べるピーターは、会社倒産をも招く危機的事態に気付き上司のサムに報告すると、深夜、緊急の重役会議が開かれることになる。8兆ドルもの資産の命運を左右しかねない状況で、彼らは経済的・道徳的にも崖っぷちに立たされることになっていく。決断の時は、刻一刻と迫ってきていた・・・。
日本の劇場では未公開ということもあってか、予告編に字幕が付いておらず英語が分からないと何を言ってるか不明だと思いますが、ヒリヒリとした緊迫感は伝わってきます。
要するにこの作品は、「自分達の会社がとんでもない額の損失を出す商品を抱えていることが発覚し、このままいけば倒産は免れない状況に陥った会社内部の人間のやり取り」を描いています。
マージンコールの意味は?
そもそもマージンコールというのは金融用語の1つで、こんな意味があります。
一般的には、外国為替保証金(証拠金)取引において、評価損が拡大し保証金(マージン)の担保余力が減少した際に、保証金の追加注入を依頼するための通知、または保証金の追加注入を強制する制度のことをいいます。外為どっとコムの『外貨ネクスト』では、毎営業日午後3時時点のレートで口座状況を時価評価した際に、お客様がお預けになったご資金とポジションによる評価損益の合計(有効保有額)が維持保証金のレベルを下回った場合(維持率が50%を下回った場合)、電子メールにてお知らせを行ないます。これを「マージンコール」といいます。なお、『FXステージ』には「マージンコール」はございません。
出典:コトバンク
自らの保身のために、他者を犠牲にする
この映画には、明確な主人公が存在しません。
損失に気付いたのは若きアナリストのピーターですが、彼はあくまで問題を提起しただけで、作品内ではその事実を知った人々の意思や行動が次々と展開されていく群像劇になっています。
その中では、今まで散々いい思いをしてきた生活から、奈落の底に落ちる状況となった人間のどうしようもない面を見せつけられます。
・自分はこれからどうなるのか
・責任は誰にあるのか
・会社を守るために道徳に反することをやっていいのか
106分(1時間46分)の中で繰り広げられるのは、集約すれば上記3点が全てです。
会社は自分達が抱えているお荷物(証券)の本当の価値が外部にバレる前に、全て売り捌いて少しでも損失を少なくすることを決断します。
しかしそれは、価値が無いどころか損失を生む商品(ガラクタ)を大切な取引相手を騙して押し付ける行為であり、これを実行すれば市場においての自分達の信頼は失墜し、今後二度と取引してくれる相手はいなくなり、それどころか市場に参加する権利を失い、捜査機関による強制捜査が行われることとなります。
つまり、他者を犠牲にし全てを失うことになっても、会社を残し自分達が生き残ることを選んだのです。
正義感がある人からすれば「なんてことを!信じられない!」と思うかもしれませんが、おそらく現実の会社でもこういう恐ろしい決断をするんだろうなと思います。
組織というのは保身に走る体質を抱えており、これは少数が反対の声を挙げても握りつぶされ変わることのない部分です。
弱肉強食で何が悪い?
最終的に会社としての決断を出すのは会社で最も偉い人物なのですが、中には「本当にやる気なのか?」と疑問を呈したりトップに反発するキャラクターもいます。
しかし、それに対して返される言葉は、こんなものです。
・どうせ自分達は何をやっても叩かれる。そんな叩いてくる連中のことを何で考えてやらないといけない。自分達が生き残ればそれでいい。
・今までも多くの困難があり犠牲もあったが、自分達は生き残った。勝てば金を得て負ければ終わるだけ。余計な良心はいらない。
資本主義は弱肉強食の世界であり、そこには必ず勝者と敗者がいます。
それはおかしいと主張する人もいますが、これは仕組み上避けられないことで、みんな自分を守るだけで精一杯なのです。
それが嫌なのであれば、資本主義の国から抜けて他の場所へ行くしかありません。
この映画は、そんな事実を淡々と突き付けてきます。
窮地に立たされる前に、対策を打つこと
映画の結末は何とも後味の悪いものとなっています。
会社は見事ガラクタを市場に売り捌き、それを実行した末端の社員達は次々に解雇通知を出される中、それを決断した側である者達は残る。
もちろん無傷というわけではなく、今後どうなるかは分かりませんが、おそらく当面は困らない金を手に入れ生活していくことでしょう。
この映画を通じて学んだのは、『追い詰められた人間が取る行動は残酷で、だからこそそうならないように出来得る限りの対策が必要である』ということです。
作品中で上層部が、「あの時真剣に捉えていればこんなことには・・・!」と諍いを起こす場面があります。
つまり、実は問題が発覚する前にその兆候は掴んでいたにも関わらず、それを取るに足らないことと向き合わず放置していたことが分かります。
それによって取り返しのつかない事態に陥り、最悪の方向へ転がってしまったワケです。
人間は自分が生き残るためなら、時にどんなことでもします。それは犯罪だとか倫理に反するだとかの前に、本能としてある部分なのでもう仕方のないことかもしれません。
でも、生き残るか死ぬかの瀬戸際に立つ前の余裕がある状態であれば、そんな恐ろしい決断をすることなく行動することもできるかもしれません。
なので、何か嫌な違和感や兆候を察知したら、どんな些細なことであっても目をこらし精査することが大切なのだと僕は思います。
まとめ
正義・道徳心・倫理観・良心…
人間として生きていく上で捨て去ってはいけないはずの要素は、追い詰められた人間を前にしても機能するものなのか?
投資に関わる人だけでなく、金融を全く知らない人にも観る価値がある作品だと思います。
106分に渡るスリリングな展開と緊迫感を、ぜひその肌で感じてみてください。