利息を取る側になるか、取られる側になるか~『殿、利息でござる!』の感想~

皆様こんにちは、takahiroです。

 

『殿、利息でござる!』という映画を観ました。

大昔にあった実話を題材にしており、それがお金(金貸し)に絡むものだということで勉強も兼ねて観てみた感想を交えつつ、この作品から得た教訓をお話していきます。

 

 

世の中の仕組みで苦しむのは庶民

まずは、この作品のあらすじをご紹介します。

江戸中期、財政の逼迫(ひっぱく)した仙台藩が領民へ重税を課したことで破産や夜逃げが続出し、小さな宿場町・吉岡宿は困窮し切っていた。このままではダメだと考える商人・穀田屋十三郎(阿部サダヲ)と同志たちは、藩に金を貸し付け毎年の利息を住民に配る「宿場救済計画」を考えつく。町の存続を図るため、前代未聞の金貸し事業を成功させるべく、彼らは私財を投げ打ち……。

テーマとなっているのは『カネと利息(金利)』の話です。

お上(お偉い方々)のせいで心身も経済的にも追い詰められた民衆が、逆にお上から利息を取ることで窮地から脱出するために奔走します。

 

時代設定は1766年と今から250年以上前の物語ということになりますが、この時代はお上の言うことは絶対であり、変に逆らえば首を刎ねられる(殺される)のが当たり前で、庶民は理不尽な命令や制度に対して従うしかないことがよく分かります。

 

お上から課せられた『伝馬役』という物資の輸送の仕事に対しても、その費用は全て庶民の負担となり、何か問題が起きれば肝煎(きもいり)と呼ばれる役職に就く村の首長に責任を負うことになっています。

 

そのことについて肝煎自身も「理不尽など飛び越している」と怒っていますが、それすらもお上にとっては当たり前のことのように思われ問題視されていません。

 

今の世の中もそうですが、お上の意向に最も振り回されるのは庶民であり、苦しむのも庶民だという事実は変わってないんだなと思いました。

 

 

人はカネが絡むと、見返りを求める

お上にカネを貸すために必要な金額として、発案者である菅原屋(すがわらや)は千両(今の価値に直すと三億円ほど)を提示します。

 

当然これほどの大金は2~3人だけで用意できるものではなく、少しずつ色々な人達に協力してもらえるよう説得していくのですが、ここで問題が発生し始めます。

 

端的に言うと、カネを出した人がスゴいと持て囃されたり、売名行為(後世に名を残したいだけ)と非難されたりするようになるのです。

 

実はこの金貸し案は個人が儲かるという事業ではなく、お上から巻き上げた利息を伝馬役の費用に充てて村全体を救おうというものだったからです。

 

人間は基本的に自分のカネを出す際は、何かしらの見返りが自分にあることが前提となっているし、周囲もそうであると認識しています。

 

そうではないのにカネを出すと、良いカッコをしたいだけだとか、自分の株を上げたいんだろうという声が出るのって、今で言う寄付をする人への非難と変わりないですね。

 

また、仲間内でも「自分は○○も出資したのに、お前は○○しか出資していない。」などと小競り合いが起きます。

 

カネが絡むと人間の善意や大義というのはいつの間にかブレて歪むものだということがよく分かります。

 

 

「誰かに褒められたくてやるわけじゃない」という信念

そんな醜い争いがある一方で、物語の後半で主人公の父親である浅野屋甚内(本編開始時には既に故人。金貸し屋を営んでおり周囲から守銭奴と揶揄されていた。)が、実は自分が貯めたカネでお上に上奏(意見を申し上げる)し、村を救おうとしていたことが判明します。

 

そんな甚内が生前言っていたことは、

 

・たとえ周囲から何を言われても気にするな

・褒められたくてやってるわけじゃない

 

というもので、困窮し夜逃げするしかなくなった人に対しても、

 

・これはあなたのせいではなく、世の中の仕組みのせいだ

・決して卑屈になってはいけない

 

と言葉を投げかけ、それまで自分が貸していた借金を帳消しにするだけでなく、これは返さなくていいと当面の資金を渡していました。

 

人間はカネによって人生が成功するか失敗するか決まるというのは、紛れもない現実としてあります。

 

弱肉強食の論理で、搾取するかされる側になるかが重要であり、誰かを救うためにカネを出せば先程言ったような非難も飛び出てきます。

 

しかし、それだけが人間の全てではありません。

カネを扱うのは人間であり、カネをどのように使うかも人間が決めます。

 

甚内がそうであったように、僕達もカネに囚われて人間としての誠意や優しさを失ってはいけないと思います。

 

 

まとめ

この作品は、カネにまつわるどうしようもない負の側面と、それだけではないという正の側面の両方を取り上げています。

 

カネはカネでしかなく、誰がどのような目的でどう使うかで決まる。

 

そのことをよく踏まえて、僕達はお金を稼ぎ、どう使っていくべきか考えなければいけないと、この作品を観て学びました。