自分が好きなことをして生きられるのであれば、それは間違いではない
皆様こんにちは、takahiroです。
突然ですが、皆さんは今人生を楽しく生きられていますでしょうか?
僕はというと、結論から言えば「まぁ悪くない」という曖昧なところです。
仕事はそんなに辛いとかもなく、プライベートの時間は確保できているし、友達は・・・少ないですがそんなに寂しさを感じることもありません。
一人暮らしの社会人なので、何をするにも基本的に自由。
やりたいこともやろうと思えば大概のことはできます。
でも、満足できるほど楽しいかと聞かれると、そうではありません。
理由としては、「お金を得るために、常に労働し続けているから」です。
当たり前ですが、生きていくためにはお金が必要です。
そして、特に資産や財産を持っているわけではない僕は、働き続けないとお金が無くなります。
そしてお金が無ければ、好きなことややりたいことも満足にはできず、追い詰められれば普通に生活していくこと自体も難しくなります。
これは僕だけでなく、世の中にいる大半の人達がそうだと思いますが、収入源が1つしかなくしかもそれが労働しなければ収入が得られない状態であれば、仮にこれを止めてしまうと待っているのは困窮と死です。
大げさと思う人は、昨今のコロナの影響をもう1度よく見てみると分かるでしょう。
経済が止まったことで仕事を無くした人が計り知れず、倒産・破産した企業も数知れず。
そこには1度は名前を聞いたことのある有名企業も含まれていました。
これはつまり、『サメのように常に動き続けていないと(働き続けていないと)死ぬ』という自転車操業である事実を、残酷なまでに映し出していると僕は思います。
そして、仕事を無くした人達が声高に叫んでいたのは「経済を止めたのは国なのだから、国がどうにかしろ」ということです。
確かに経済を緊急事態宣言によって止めたのは国ですが、では仕事を無くした人達は、いつか自分がこうした非常事態に見舞われることを考え、少しでも前もって対策を打っていたのでしょうか。
対策というのは貯金・投資・人脈形成などなど、何でも構いません。
とにかく不測の事態が起きた際に少しでも自分の助けになるように行動していたのかが肝心です。
僕が株式投資をしているのは、いざ何かあった時に自分の身は自分で守れるようにしておきたいというのも理由の1つです。
今回のコロナ渦でも浮き彫りになった通り、国が国民のために行動するのには多大な時間がかかり、その保証も十分とはとても言えません。
そして、みんな自分のことだけで精一杯で、誰かを助ける余裕を持っている人なんてほんのひと握りです。
だから、自分を助けることができるのは自分だけという前提のもと、今は職があって安定している人も、これからの不安定な未来のために準備しておくことが大切ではないかと僕は思います。
それは僕がしているような株式投資でも、それ以外でもいいのです。
重要なのは『自分が直接働かなくてもお金が得られるようにしておく。もしくは得られる手段を身に付けておく』ことです。
アリとキリギリスの話を思い出してみてください。
キリギリスは現状に甘え、後先考えず生活していた結果、最後はアリに乞いをするも断られてしまいました。
一方でアリは、来るべき未来のためにせっせと準備し、見事厳しい時期を乗り越えました。
僕ももちろんですが、皆さんもキリギリスとならないように今のうちから準備しておくことが必要ではないかと、僕は思います。
何だかんだ言って、世の中には自己責任で片付けられてしまうことがたくさんあります。その言葉に苦しむことにならないよう、頑張りましょう。